安吾のハッカ煙草

文学、思想・哲学、音楽などを中心に書いています。

【解説】東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』 第1回

 

 

 

f:id:plume1414:20181219094139j:image

 

 

 

 

 

 

 

・『ゲンロン0 』

 

  ここからの一連の記事では、東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』を解説していく。ここで書いていくのはいわゆる「ダイジェスト版」であり、東浩紀氏や本書に対する批評を展開するものではない。純粋に、シンプルに、『ゲンロン0』という書籍がどういう内容のものであるのかを書いていくつもりだ。

 


  記事の想定読者としては、「『ゲンロン0』を読んでみたいけれど、いまいちどんな内容だか分からない」という人や、「思想や哲学というものに漠然と興味がある」という人、「もうすでにそれを読み終えているが、知識を簡単に整理してみたい」という人などを考えている。それらの層の方々に、できる限りわかりやすく、本書の魅力を伝えていきたい。この一連の記事を入門として、より多くの方がこの書籍を手に取っていただければ幸いだ。

 


(※なお、『ゲンロン0 観光客の哲学』では、Web上に特設ページなるものが用意されており、著者である東氏自身による短い紹介動画を見ることもできる。この記事と合わせてご覧いただきたい。本書のタイトルをそのままGoogle先生に突っ込んでいただければ、一番上のあたりにヒットする。)

 


  当然のことながら、これら一連の記事は、いわゆるエッセンスを抽出するに留まるものなので、これらを読み終えたあとは、できれば実際に本書を手に取っていただきたいと思う。値段は決して安くないものの、この記事では書き尽くせない知的冒険が待っている。

 


  これからの記事で、本書の解説をしていきたい。とは言え、ただエッセンスだけを書くだけでは、本書の魅力は十分に伝わらないと考えている。いわゆる「要約」と比べればかなり具体的に書いていくつもりなので、記事も数回に渡ることになるはずだ。なるべく分かりやすく書いていくつもりなので、どうか最後の記事まで目を通していただけたらと思う。

 


  初回のこの記事では、全体的に、『ゲンロン0 観光客の哲学』がどういった書籍であるのか、その概観を見ていきたい。「ここでぼんやりとしたマクロ的なイメージを掴んでもらって、それから章ごとに詳しく解説していく」という段取りを考えている。

 

 

・ざっくり言ってどんな本?


  さて、前置きが長くなってしまったが、この『ゲンロン0』、著者である東氏も「自身の最高傑作」と認める集大成的な一冊だ。そして何より、「哲学や思想書を読んだことがない人にもわかりやすいように」書かれてある。そこには哲学用語の説明があり、時代背景の説明があり、思想史の流れの説明があり、哲学者や思想家の説明がある。まるで哲学書とは思えないほど分かりやすい。知らない単語がたくさん出てくる本を読んでいると、基本的に人間は眠くなってしまうものだ。しかし本書では、重要なキーワードがほとんど何らかの形で丁寧に説明されており、内容がすっと頭に入ってくる。東氏が「思想本を読まない人にもおすすめしたい。」と発言しているのは、つまりはそういうことなのだ。

 


  まず、本書における「問い」と「結論」を非常に簡潔に示していく。

 


  本書における基本的な問いはこうだ。「ナショナリズムグローバリズムの二層構造の時代である今、人類全体の繋がりを考えなおすための手がかりは何か?

 


  そして結論はこうだ。「『観光客』という概念だ。あるいは『郵便的マルチチュード』だ。

 


  何のことだかさっぱりわからないという方が多いだろう。なんの説明もなしに「問い」と「結論」だけ示されても困る、と言うのももっともだ。しかし最初に「問い」と「結論」をぼんやりと頭に入れておき、そこから本文を読むという流れは、論文などを読む上では効果的だ。「はじめに→結論→本文」という流れで読んでいくと、本文のそれぞれのパーツと、「問い」や「結論(主張)」との関係性が見えやすくなる。

 


  これからどのようにして本書の議論が進んでいくのかを、章ごとに追っていく。耳慣れないワードが沢山出てくるかもしれないが、それは次以降の記事でくわしく説明していくので、「ふーん、そういうものか。」と読み流していただきたい。とにかくここでは、「おおまかな議論の流れ」を概観することに重点を当てたいと思う。

 

 

・本書の構成


  さて、本書は以下のような構成になっている。

 


第1部 観光客の哲学

  第1章 観光 (付論 二次創作)

  第2章 政治とその外部

  第3章 二層構造

  第4章 郵便的マルチチュード

 


第2部 家族の哲学

  第5章 家族

  第6章 不気味なもの

  第7章 ドストエフスキーの最後の主体

 


  まず第1部と第2部に分かれている点について説明しておきたい。

  基本的に本書の議論は、第1部において完結する。第2部の家族の哲学は、つまるところ第1部の延長上での思考であり、著者曰く「草稿のようなもの」である。よってひとまとめの厳密な議論を展開するというよりも、どちらかといえばエッセイ的なノリで楽しめるという内容になっている。なので先に示した「問い」と「結論」は、正確に言えば第1章から第4章までの話になる。

  それでは、章ごとにどのような議論が展開されるのかということを、ざっと確認してみたい。

 


  第1章。ここでは、本書の狙いが示されるとともに、テロ時代における「観光客の哲学の必要性」が説かれる。もう少し詳細に言えば、「観光客という何気ない存在から始める、他者のための哲学」についてである。

 


  第2章。ここでは、その「観光客の哲学」の基礎固めをする。ヴォルテールやカント、ルソー 、ヘーゲル、それからカール・シュミットコジェーヴ、ハンナ・アレントなど様々な人物を参考にしながら、人文学そのものを変革するべきという問題意識が提示される。

 


  第3章。ここで著者は、現代はグローバリズムナショナリズムの二層構造であり、普遍的な世界市民への道が閉ざされているのではないかと指摘する。そして、世界を二層構造ととらえられるとすれば、「観光客」は、まさにその両者の間に存在するものだと認識できる。ここに、オルタナティブな政治思想としての、「観光客」の可能性が開かれることになる。

 


  第4章では、今までの議論を踏まえつつ、結論部分が示される。第3章で触れる「間に存在するもの」を、今までの思想・哲学においてはマルチチュードと呼んでいたが、それは神秘主義的な弱点があったとする。そしてその弱点を克服するために、「郵便的」という概念を融合させ、「郵便的マルチチュード」を提示する。それからドゥルーズ=ガタリの「千のプラトー」や、「ネットワーク理論」などを導入し、再誤配の戦略としての「観光客の原理」が導き出され、二十一世紀における新たな連帯のありかたを示す。

 


  第5章、第6章、第7章では、それぞれ、第1部の議論の延長として、「家族の哲学」が思考される。特に第7章では、ロシアの文豪、ドストエフスキー(の思想)を扱いながら、それらを本書の議論に接続していく試みがなされている。

 


  章ごとのおおまかな要約は以上になる。次回は第1章を詳細に書いていこうと思う。

 

 

 

・『弱いつながり』について

 

  また、これは一つの提案に過ぎないけれども、同じ東浩紀氏が書いている『弱いつながり』(幻冬社、文庫もあり)を先に読んでおくと、さらに本書の内容に入っていきやすくなる。余裕のある方は、先にそれを読んでおくと良いかもしれない。平易な文章で書かれたエッセイであり、ページ数も少ないので、すぐに読むことができる。『ゲンロン0』の導入編としてはとても良い書籍だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(コメントは、ポジティブなもの、ネガティヴなもの、何でも構いませんので、自由によろしくお願いいたします。ずっとログインできなかったので今までコメントを確認出来なかったのですが、これからは定期的にログインいたしますので、できる限りこちらからも返信いたします。)

 

 

  またTwitterのアカウントを開設いたしましたので、フォローをよろしくお願いいたします。

https://mobile.twitter.com/ploom1414

 

 

第2回→https://plume1414.hatenablog.com/entry/2018/12/22/141626